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福岡高等裁判所 昭和53年(う)484号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人井上正治、同有馬毅、同高森浩連名提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官疋田慶隆提出の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

右控訴趣意第二点(理由不備ないし訴訟手続の法令違反)について

所論は要するに、原判決が証拠とするAの検察官に対する供述調書二通は、同人が従前から罹患しているバセドウ病の精神的肉体的影響下に作成されたもので任意性がなく、また、刑事訴訟法三二一条一項二号所定の特信性もなく、これらの点において証拠能力を欠き、しかも同調書を除いては他に原判示罪となるべき事実を認定するに足りる証拠はないので、原判決には理由不備ないし判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反があるというのである。

よって検討するに、(証拠略)によれば、所論の如く原判決がAの検察官に対する供述調書二通を原判示罪となるべき事実の認定証拠としたこと、Aは昭和四三年一一月八日午前〇時三六分ころ、長崎市西坂町一番一号所在日本放送協会(以下NHKという)長崎放送会館五階において、暴力行為処罰に関する法律違反の被疑事実により現行犯逮捕され、同月九日と一〇日の両日検察官の取り調べを受け、原判決罪となるべき事実第一の(一)の仕切りガラス一枚の破壊に関する目撃状況を供述し、それぞれ同日付の右各検察官に対する供述調書が作成されたことが認められる。そして、(証拠略)を総合すると、Aは、右逮捕に先立つ同年八月二〇日から一〇月二三日までの間、甲状腺機能亢進症(バセドウ病、以下バセドウ病という)により長崎大学医学部付属病院に入院治療し、寛解退院後も医師の指示により毎日服薬を続けていたこと、一一月八日の逮捕後はその抑留中僅かに湯茶をとったのみで食事は全く摂取せず、翌九日以降時々吐き気、立ちくらみ、目のかすみ、けいれん発作等の症状が現われ、精神的不安感もあり、翌一〇日朝には抑留先の浦上警察署留置場内で突発的に壁に頭を打ちつける等の自殺企画と目される行為をなし、同日午後釈放されて帰宅したが、激しいけいれん発作に襲われ同日夕方長崎大学医学部付属病院に担送入院し、バセドウ病及び脱水症と診断治療を受け、同月一六日退院したことがそれぞれ認められ、右事実によれば、Aが検察官の取り調べを受けて本件各供述調書が作成された当時、バセドウ病及び脱水症に罹患しその病状が現われていたことは明らかなところである。しかし、右各証拠によれば、一一月九日以降の前記症状は終始継続していたものではなく、時々現われる程度であり、また翌一〇日の前記行為後は直ちに十善会病院で強心剤と鎮静剤の注射治療を受けて沈静し、その後の当日午前中一時間足らずの検察官による取り調べ時には気分的に楽になっていて、取調官の方ではAが普通の状態で異常を認めなかったこと、Aに対する二回の取り調べを担当した伊津野政弘検事は、取り調べに先立ちAがバセドウ病患者であることや一〇日には病院に行ってきたことを知っていたが、その取り調べ時には同人が少しつらそうな印象を受けた程度であり、九日の弁解録取に始まった取り調べは同日午後七時半ごろから同日午後一〇時ごろまでで、これに立ち会った検察事務官杉本尊美もAが涙を流すなどやや興奮状態にあることを認めた程度で、両名ともAの心身に関して特別の異常を感じることなく、同人から心身の変調や取り調べに耐えない旨の申出等もなく、通常の平穏な取り調べがなされたこと、右取り調べによって作成された本件各供述調書の内容は、いずれも具体的、詳細かつ脈絡があり合理的で不自然さはなく、また各供述調書の末尾に署名するにも自然でけいれんもなく筆蹟に異常がないことが認められ、また、(証拠略)によれば、当時、Aのバセドウ病は、逮捕前までの服薬の効果により、症状に著変はなく、ただ頻脈、動悸、全身倦怠等の易興奮性の面に満足すべき改善があったかにつき疑問を残す程度で、軽く、脱水症も一〇日の入院時の血液検査所見からして軽度であり、両者の相乗効果をもっても直接意識障害や精神症状の悪化を起こすほどの要因となり得なかったことが認められ、以上の事実を総合して考えれば、本件各供述調書作成時のAの症状は、同人がその取り調べに耐え得ない程度であったとは認めることができないばかりか、Aが当時バセドウ病及び脱水症に罹患していたことをもって本件各供述調書の任意性を否定することはできず、Aの当審証人としての供述中所論に副う部分はたやすく措信できず、末松弘行作成の「バセドウ病の精神症状」と題する書面(南江堂刊図書「バセドウ病のすべて」所収)も右認定を左右しない。また、所論の如き供述調書間あるいは(人証略)との整合性に一部欠けるところがあっても直ちに本件各供述調書の任意性なしとはいえない。

なお、所論は、本件各供述調書を証拠とするには刑事訴訟法三二一条一項二号にいう「前の供述を信用すべき特別の状況」の存することを要件とすることを前提として右各供述調書には特信性がないとしてその証拠能力を否定するが、原審第三五回公判調書によれば、本件各供述調書はAが原審証人として尋問され、右調書に記載された目撃状況につき証言を拒絶したことにより原審は刑事訴訟法三二一条一項二号にいう「公判期日において供述することができないとき」に当り、かつ、右供述調書には任意性があるとして証拠能力を肯定したものであり、原審のこの判断は正当というべきである。けだし、文理解釈上右特信性は公判準備又は公判期日における供述を前提としてこれと比較検討すべきものであるところ、本件のように証言拒否の場合には対比すべき供述が得られないのであるから、所論のような特信性をこのような場合にまで必要とするとは解されない。そして、右各供述調書では予め検察官において供述拒否権を告知したうえ得られた供述を録取しこれを供述者に読み聞かせ供述者は誤りのないことを申し立てて署名指印しており、その任意性について考察したところの諸事情に鑑みるときは右各供述調書の信用性の状況的保障は十分で、必要な部分について反対尋問が十分に行使できなかったものであることの事情を考慮して慎重に右各供述調書の証拠価値を検討するときは、たとえ、他の証拠と一部整合しないところがあっても、直ちにその証明力すべてを否定するところとはならない。

よって、これを証拠とした原判決に所論の如き瑕疵はなく、記録を精査しても原判決に理由不備ないし判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反の違法は存しない。論旨は理由がない。

右控訴趣意第一点(事実誤認ないし法令適用の誤り)について

所論は要するに、被告人は、昭和四三年一〇月三一日に被告人に対する配転命令が強行発令された結果、NHK社員就業規則により同年一一月八日までに新任地東京に着任せざるを得なくなり、同月七日が長崎で行動できる最後の日であったところ、NHK当局は、この日を意図的に選んだ如くに被告人らに対する懲戒処分を内示したので、被告人は右配転理由のほかに懲戒処分の理由を示すよう根気強くくり返し団体交渉を求めて午後一一時二〇分に至ったが、長崎放送局長小林康廣は、局長室の扉を閉じて立て籠り、頑なに団体交渉拒否の態度を続けたので、被告人は、まず局長室隣の第一会議室に入り、そこから局長室に入って局長と団体交渉をしようと考えて本件所為に及んだものである。このように、被告人の本件所為は、NHK当局の被告人ら労働者の団体交渉権ないし団結権などの労働基本権に対する急迫不正の侵害からこれを守るためやむなくなした正当防衛行為に当るものであり、仮りにそうでないとしても社会的相当な行為であり、また被害は三万円程度の軽微さで被告人の行為は正当行為に当るもの、ないしは、可罰的違法性を欠くもので、この点を看過した原判決には判決に影響を及ぼすべき事実誤認ないし法令適用の誤りがあるというのである。

よって検討するに、(証拠略)によれば、被告人は、昭和三九年七月にNHK長崎放送局に赴任以来、日本放送労働組合(以下、日放労という)九州支部長崎分会(以下、組合という)の執行委員を経て分会長となったが、昭和四三年八月一三日東京教育局科学産業部への配転の内示を受け、被告人及び組合は、これを不当労働行為であるとしてその撤回を求めて長崎放送局長との間に二〇回位に亘り団体交渉の申し入れをなし、同放送局長も、ことは人事委員会で処理されるべきもので現地で交渉すべきことではないと認めながらも、ともかくこれに応じてきたこと、そして、被告人からNHK熊本中央放送局人事委員会への異議申立あるいは組合から長崎県地方労働委員会に対するあっせんの申請等をしたが、いずれも不調に終り、同年一〇月三一日配転が発令されたこと、その結果、被告人は同年一一月八日には長崎を発ち東京へ赴かなければならず、同月七日が長崎で活動できる最後の機会であったため、組合は外部団体の支援等を得て同日を期して抗議活動を盛り上げることを企画し、小林長崎放送局長に対し同日の団体交渉を申し入れるなどして着々準備を重ね、一方、NHK当局も予め各地から管理職職員の応援を得てこれに対処する姿勢を示し、右七日の長崎放送局は極めて緊迫した状況にあったこと、ところが、NHK当局は、その七日午後に至り、日放労本部に対し、同月一日、二日の両日組合の職場集会への出席問題にからみ局舎内で暴行事件が発生したとして、これを理由として被告人外六名の組合員(執行委員)に対する懲戒処分(停職一カ月ないし四カ月)の内示通知をなし、右は同日午後五時ころ同本部から被告人らに伝えられたこと、被告人ら組合側は、当日被告人の配転問題についての最後の抗議行動を設定していたところ、突然右のような懲戒処分がされることを知り、その原因となるような暴行事件は存在せず、その懲戒は手続的にも違法であり、内示の日も意図的であるとして一段と態度を硬化させ、ことは被告人の配転問題だけにとどまらなくなったが、被告人のために残された時間も少ないところから懲戒処分の撤回を求める足掛りに是非とも懲戒処分の理由の明示を求めるべく被告人ら組合側は局長室の扉に施錠して他の管理職職員一〇名位と共に室内に閉じこもった小林局長に対し、電話や扉越しに口頭で右処分理由の明示のための団体交渉を強く要求し、同日午後六時ころ以降は局舎前広場での支援団体とのデモ行動、組合員による局舎内デモ等をなし、被告人は組合員二〇ないし三〇名位とともに午後一一時過ぎまでの間前後三回に亘って局長室前に至り、いずれも組合員において扉を叩いたり蹴ったりし、あるいはシュプレヒコールをするなどし、被告人において団体交渉に応じるよう求めたが、小林局長はこれに応えず、僅かにその間電話で被告人に「処分理由は労働協約に基づき中央で日放労本部に明らかにされている」旨を伝え、また、扉越しに「先刻電話で伝えたとおりである」旨を答えたことがあったのみであったこと、そこで、被告人は同日午後一一時一五分ころ局長室前に至った際、残す時間も少なく、このうえは実力を使って局長と面会する外なしと決意し、局長室に向い「小林出て来い。五分間待つから話し合いに応じろ」「再三求めているのに応じないのなら自分の方から入って行くそ」「返事をしないとどういう事態が起きるかそれはそちらの責任だ」と怒鳴ったうえ、局長室隣の第一会議室の廊下側仕切りガラス一枚を叩き割って同室に侵入し、続いて同室から局長室に入るべく両室間の木製扉に長机を突き当てて右扉と長机を損壊し、原判示「罪となるべき事実」の犯行に及んだことがそれぞれ認められる。

ところで、前掲各証拠による限りでは、被告人に対する配転の発令は、被告人の活発な組合活動が原因となった疑いが強く、また、懲戒処分の内示に関しても、その理由とされる暴行事件なるものが存在したか否か、あるいは懲戒手続として職員就業規則上必須の責任審査委員会が開かれたか否か等はいずれも極めてあいまいで、仮りに責任審査委員会が開かれたとしても所定の手続が履践されたかは疑わしく、被告人ら組合側において配転命令が不当労働行為に当り、懲戒処分の内示が手続的に違法であり、内示の日も意図的であると考えたのにもむりからぬところがあり、しかも右懲戒処分該当事実の熊本中央放送局長への報告をしたのが小林局長自身であること(本件ではNHK会長に対する上申は熊本中央放送局長からされており、小林局長は右報告をしたにとどまる。このことは(証拠略)により明らかである)を併せ考えれば、その小林局長に対し処分の理由を明らかにするよう求めて団体交渉を要求することはそれはそれなりに理解できないところではない。しかし、使用者が団体交渉を正当な理由がなく拒むことは不当労働行為となる(労働組合法七条二号)。それ故、組合側が小林局長の団体交渉拒否につき正当な理由を欠くと考える限り、団体交渉に応ずるよう組合として労働委員会に救済を求めるなどの然るべき方策をとるべきであり、その結果が期待に反するものとなったときには、別に配転命令につき救済を求める方法があり(現に、被告人はその一つの方法として昭和四三年一一月五日長崎県地方労働委員会に対し配転命令の撤回を求める救済申立((長崎地労委昭和四三年(不)第六号))をし、特別に事情の変更がない限り東京へ赴任後もこの申立を維持し配転命令の撤回を求める努力をするつもりであったことは(証拠略)によって明らかである)、また、懲戒処分もそれが内示にとどまる限りは救済を求める途はないが、処分に至れば救済方法が認められる。

しかし、前記認定の事実によれば、被告人ら組合側の団体交渉を求める内容は、当初は被告人の配転命令の撤回についてであり、本件事件直前においては懲戒処分の理由の明示が加わっているが、前者はむしろ抗議であって、それが交渉事項に当らないことは明らかで、後者も懲戒処分理由の明示というからにはこれまた交渉事項とはならない。しかも、配転命令や懲戒処分について小林局長がその権限を有するものでもなく、ましてや配転命令がすでに発令され、また懲戒処分も内示として日放労本部に通知されているときに、なお現地の一局長である小林局長にこれら命令あるいは処分を取消変更できる権限があるとはいえないことは(証拠略)により明らかである。すると、小林局長はこれらの事項についての団体交渉適格を欠くものというべく、懲戒処分該当事実の報告が同局長によってなされていても同局長が処分権者でない限り同じ結論となる。

以上のとおり、被告人ら組合側のいう団体交渉はその交渉事項交渉適格において適法とはいいがたく、その団体交渉の要求とは、結局は被告人の配転命令に対する抗議と懲戒処分の理由明示を求めるため小林局長への面会要求というに帰する。

ところで、組合分会長である被告人が長崎で活動できるのは、さしずめ本件事件当日の一一月七日限りであり、本件紛争がもともと分会長である被告人の配転問題から生じ、組合が不当労働行為としてその撤回を求める運動中に、組合幹部の懲戒問題まで発生し、これを収拾するには組合の中心となって活動していた被告人がいなければ今までの運動の盛り上りが減退し当局との折衝にも適切な対応ができないし一般的に組合の組織や活動力に影響があることは否めない。

しかし、それはあくまで被告人の配転に伴う結果として考えられるところであり、小林局長が被告人との面会を拒否したことによるのではない。かりに小林局長が過去において正式の団体交渉ではないと認めながらも組合側の要求に応じ団体交渉という形で話し合いをした例により、この場合でも組合側の要求に応じ被告人ら組合側と面接し何らかの話合いをしたとしても、問題が問題だけに小林局長の権限外の事項にわたらざるをえないこととなり、これで結着がつくとは到底考えられない。組合側がこの問題について同じ態度方針である限り事後処理は次期組合代表へ引き継がれることになる。小林局長が最後の段階で被告人との面会を拒否したとしても同じことで、組合の意思決定に変更がなければ組合の新たな代表者により従前どおりの組合活動ができるはずである。つまりこの段階で小林局長が懲戒処分理由明示を求めるための面会を拒否したこと自体が組合の組織力運営機能に影響を与えたとは即断できない。

しかも、これまで本件配転命令の撤回を求める組合側の団体交渉要求について、小林局長はもはや現地で交渉すべきことではないと認めながらも、ともかく組合の申し入れに対し二〇回位に亘ってこれに応じてきたし、ただ労働基準法三六条に基づく時間外労働に関する協定が組合と締結されなくなった昭和四三年一〇月から小林局長が右にいう団体交渉に応じていなかったが、被告人の中央局人事委員会に対する異議申立、また組合の申立による長崎県地方労働委員会のあっせんの各手続を経ていずれも不調に終ったうえ被告人に配転命令が発令された経緯に照らし当局側がこれまで全く組合側の話し合いの要求に応じていなかったわけではないこと、また組合が内示を知って懲戒処分の理由の明示を求める団体交渉を申し入れた当時、前記のとおり長崎放送局は外部団体の支援等もあって緊迫した状況にあり、団体交渉としての要求自体集団の力を背景に暴力的、威圧的になされたこと等に徴すれば、被告人らの組合の小林局長に対する面会要求は無理押し無理強いの色彩が強く小林局長がこれを拒否して応じなかったことをもって直ちに不当ともいえない。従って、当日小林局長のとった態度が組合の団体交渉権や団結権などの労働基本権に対する侵害行為とは到底いうを得ない。以上検討したとおりで、その余の点について判断するまでもなく被告人の本件所為につき正当防衛の成立を認める余地はない。

さらに、被害の原状回復だけにも金三万円位を要することは(証拠略)によって明らかで、被告人の本件所為が法益侵害の程度の点で微弱といいがたいのは勿論、NHK当局の配転や懲戒処分内示に関する前記態度を考慮に入れても、本件犯行の態様は社会通念上容認される相当性の範囲内にあるとは認められず、被告人の本件犯行が違法性を欠くともいいがたく、もとよりそれが正当な行為ともいい得ないことは明らかで、記録を精査しても原判決には所論の如き事実誤認や法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

そこで、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法一八一条一項本文に従いこれを全部被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 生田謙二 裁判官 畑地昭祖 裁判官 矢野清美)

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